2018年4月28日土曜日

高知ー京都 2日目


目を覚ましたのは深夜12時5分過ぎ。すでに和歌山港に到着していた。

周りの乗客はほとんどおらず、少し寝すぎたなと言うような乗客が数名眠そうに一階へ降りていく。左足が治っていたらいいのになと薄い期待をして自転車にまたがりペダルをこぐと、激痛が走った。もうこぐこともできなかった。

歩くことはそんなに痛みが無いため、自転車を押し一夜眠れに付けそうな場所を探す。あては有った。乗船の待合室だ。だいたいフェリーの待合室は24時間空いていることが多い。尚且つ南海フェリーは和歌山発の便が夜中2時55分発がある。それに乗り込む人は乗合室で待たないといけないから、おそらく夜中中も開いているだろうと想像していた。


その待合室を見つけ、二階が待合室になっていたため確認に行くと、ベンチが四つあり、ゆっくり眠りに付けそうな場所でホッとした。貴重品を持って上がり寝袋を出し、湿布を変え本格的な眠りについた。

夜中2時半ころに誰かの声で目覚めた。スーツにネクタイの人はどうやら船の関係者のように見えた。追い出されるのかなと気分は落ち込んだが、その人は「次の便に乗るの?」と言った。その人は私が次の2時55分発の待ち人かと心配してくれ声をかけてくれたのだ。私は、今日の夜中にこちらに着いたのだと説明をすると、「分かった、おやすみ」と言って去って行った。なんだかその言葉が妙に嬉しく、すぐにまた眠りについた。


 朝は6時に目が覚めた。周りには誰もいなく静かな朝だった。朝ごはんは昨日コンビニで購入した「パッとライス」と言って炊けているお米に冷たいレトルトカレーを食べた。食欲が満たされると、元気になる。しかし一番心配していた左ひざは、昨日の夜より幾分ましにはなったが痛みは消えなかった。

一階に下り自転車に荷物を積み込みストレッチをしているとおじいさんが近づいてきて話しかけてきた。どこから来た、どこに行くのかと自転車旅なら1人で全ての受け答えを出来るくらいのありきたりの会話をした。

おじいさんはそこからが長かった。高知には若いときに行ったことがある、という話から坂本龍馬の話しに飛躍し様々な話しをしてくれた。

ストレッチも十分終わり、会話のタイミングを見て切り上げ6時45分に出発。

今日のルートは24号線をただひたすら走るだけのルートである。地図を見る限りアップダウンも少なそうなので何とか京都までたどり着けるだろうと思った。

距離はだいたい160キロほど。地図は普段はツーリングマップルという、自転車・バイク旅にとっては必須と言っても過言ではない本を使用。

昨日走った距離を見てにやけたり、今日走る道を眺めたりと自転車旅中には本当にお世話になる。これは北海道から沖縄までで計9冊くらいに分かれており、その地区の詳細な道路地図が載っている。私は四国・中国版しかなく関西版は無かったのだが、この本にもおまけ程度に関西の地図も載っているのだ。家までの道路はさすがに載っていなかったが、ある程度のところまで載っていて少しお得な気分だ。

 和歌山市内は車が少ない早い時間に抜けたいと思っていた。混雑の時間とかち合わなかったのか、それともそもそも車が少ないのか、どこも車の混雑が無く市内を切り抜けられた。

ただ今日も時速は10キロほどである。7時半くらいになると近所の高校生くらいの子が自転車で高校に向かっていた。その子たちに追い抜かされながらは自転車をこぐのは少し悔しい。しかし坂道の上りではもうこぐことが出来ず歩いて登った。


時速10キロほどで走行を続けていると、紀ノ川が現れた。紀ノ川は川幅が30メートルくらいあろうか大きな川であった。その川沿いにサイクリングロードがあった。国道よりかは、少々距離は伸びるが、車や信号の心配のない、そちらを選びゆっくりと漕いだ。

川はゆったりと流れ、たまに大きな石があり、川の流れが変わり水量が1か所に集まるような場所があると、ああいうところに魚は集まるのだろうなという象像をする。

サイクリングロードは良かったが、風向きが進行方向と逆向きに吹いていた。

私が自転車に乗るときに一番嫌なのが逆風と雨と坂である。そんなのが嫌なら自転車旅を止めたらいいと思われるかもしれないが、それも出来ない。

今回の逆風は私を苦しめた。周りには建物がなく、もろに風を体で受けることになる。スピードは普段の半分くらいに落ちていた。ゆっくりゆっくりこぎ続けた。サイクリングロードは5キロほどあっただろうか。その5キロを1時間かけて走った。

国道に戻り狭い道を走る。国道に入ると建物が多く、逆風ということが全く感じなくなる。それは嬉しいことなのだが、少しの寂しさも入り混じる。

休憩の場所をバス乗り場に選び、ベンチに座り、先ほど購入したアップルパイをほおばった。リンゴのかすかな酸味と、リンゴと砂糖の甘みが美味しい。

しばらく休憩していると、片手に荷物を持ったおばちゃんが椅子に座り話しかけてきた。いつもの通り台本通りの言葉を交わす。その後おばちゃんは自分の今までの人生の一辺を話し始めてくれた。

母子家庭だったこと。昔スナックのママをやっていたこと。娘が一人いること。紀ノ川が台風で氾濫し家が浸水したこと。犬を8匹飼っていること。などを丁寧に聞かしてくれた。そしてバスがやってきた。私が「ではまた」というときょとんとしていたため、「バスに乗られるのですよね」と補足を付けると、おばちゃんは「乗らないよ、ここで休憩しているだけと」話した。私と一緒だった。ここにいるとおそらく半日は付き合わないといけないくらいの勢いだったため、「ぼちぼち行きます」と言っておばちゃんと別れた。

時間は2時頃を指していた。もう限界だった。これ以上漕げなかった。京都の友達に連絡を入れ、車で迎えに来てもらった。奈良県に入ったところだった。自転車旅で初めてのリタイヤだった。原因を考えるとちょうど両手に収まるほどの要因が出てきた。これから自転車で外国に行くと言うのに情けない終わり方をしてしまった。出発まで残り一か月。足を治し10個ほどの要因をクリアし出発の準備をしようと思う。

2018年4月21日土曜日

高知ー京都 自転車旅 1日目


 朝早く起き、自転車に載せて持って帰る荷物の準備と、最後の家の引き継ぎの作業を終えた。朝ごはんは米をしっかり食べ、朝八時に出発。

四年間住ましてもらった家に別れを言い、次にこの家に住む住居者に見送られ、高知県の家を後にした。

 家から国道までは7キロほどある。その道を走っていると今までお世話になった方が、車で通り「行ってらっしゃい」という言葉と共に、食べ物などを頂いた。国道に出るちょっと手前に、家の大家さんの家がある。そこで大家さんにお別れを告げ自転車旅が始まった。

 気温は18℃と温かいというより暑いくらい。夜須から安芸までは自転車にとって良い道とは言えないが、遍路道を兼ねた自転車道がある。細いが車のことを気にせず走れるのは、気持ちいが良いのと、国道より海側を走れるので、時たま現れるオーシャンビューに感嘆する道だ。自転車の調子は最高に良い。どこまでも走れそうな気分になっていく。

 この日は木曜日だったので、私が好きな番組、NHKラジオの「すっぴん」が放送されていた。今日のパーソナリティーは1週間の中でも一番好きな麒麟の川島さんだ。イヤホンで聞くのは危険なため、コンパクトラジオをフロントバックの上に置きラジオを鳴らしてみると綺麗に音源が聞けた。海沿いを、ラジオを聴きながら走るのは爽快な気分であった。

 今回の旅の予定は一拍二日で京都まで帰る予定だったため、あまり悠著なことは言っていられない。室戸までの60キロほどはその自転車道と国道を走り難なく行けた。高知県は本当に綺麗な川が沢山あるのだと改めて感じた。

 室戸まで行き一息ついていると、頭に不調の兆しがあった。それは少し無理をしたら、よくなるのだが頭がズキンズキンする。これは熱中症の症状の一つらしいが、今回は昼頃から訪れてしまった。この症状は寝たら治るのだが、今日はそういうわけにはいかない。
 水分不足が原因だった。室戸までほぼ休憩なしで走ってしまった。初めは調子がいいと勘違いし無理をしてしまっていたのだ。そこから水分休憩を頻繁に行ったが、状況は悪化こそはしなかったが、頭のズキンズキンは治らなかった。そのまま自転車を走らす。アップダウンがほぼ無く風も追い風で体調の割に距離は稼げた。

 よく「なめし」を教わりに来ていた東洋町を抜けそのあたりで、頭のズキンズキンが消えた。そしてその代りに左ひざの外側に痛みが走った。筋肉痛でもなく張ってる感じもない。腱を伸び縮を繰り返し痛めたのだと思う。あまりよくない気がした。しかし進まなくてはいけない。左ひざでペダルを漕ぐときは力を抜き右で漕ぐときに力をめいいっぱい入れ漕いだ。

徳島が少しづつ近づいてくる。


 日本の国道は分かりやすい青看板が頻繁に立っており、国道ならほぼ迷うことなく、さらに距離の指標もあるので本当にありがたい。もう60キロくらいで徳島市内と言うところでコンビニの本コーナーで地図を確認するとショートカットの道があった。

 おしっ、これなら10キロほど短く行けると意気込んで行くと、バイパスで歩行者と自転車は通行不可であった。この時点で時間は18時を指していた。徳島―和歌山の南海フェリーの時間は21時50分。残り3時間50分で60キロ。

 普通なら難しくはないが、この日は時速10キロのペースだったため、ぎりぎりであった。バイパスが通るくらいのため、旧国道はアップダウンが多く山で覆われていた。

 後ろからロードバイクの二人組がサーと抜かしていく。自転車の後ろには赤い点滅が付いていた。暗くなってきたなと感じる。

 小さな山を登ったり下りたりと繰り返しながら、この山道を早く抜けたいと気持ちが焦る。左足は相変わらず痛む。薄暗くなり視界が少し悪くなる。

 前方からライトの明かりが2つ坂を下ってくるのが見えた。行きに抜かしていった二人組だった。おそらくこの山道を抜け向こうの町まで到着して帰ってきたのだろう。そのことを想像すると、この山道はもう7合目くらいまで来ていると想像でき少し元気が出てきた。

 その山道にはたくさんの林道があり、もしテントを張るならこの林道を少し入った車一台旋回させられるような平地で張るのだろうなと持ってもいないテントの張り場所を想像する。

 数百メートル進んでは休みを繰り返す。


ようやく青看板が出てきて10キロほど進んだことが分かった。その青看板や、峠という文字が見えてくるとだいたいその山道の終わりを指す。そこから一気に下りに差し掛かった。山道を抜けた。


 辺りは真っ暗闇に包まれる少し手前だった。ホッと胸をなでおろした。実は、実用的なライトを持っていなかったのだ。夜に自転車で走ることは危険なことを承知していたため、夜は走らないと決めていたからだ。

 しかしながら午前中の熱中症と、左足の痛みのため、夜も走らないといけなくなった。ここに詰めの甘さが出ている。何とか峠を完全に暗くなる前に通過したから良かったものの、あと1時間遅く山道に入っていたら危険度の高い走行になっていただろう。


 辺りは暗くなったものの、車や民家、お店なども徐々に姿を現し、ライトがなくともどうにか走れる。しかし一番危険なのは交差点に入ったときの対向車が右折するときだ。暗いと自転車の認識が見えづらくなる。右折してくる車との接触に気を使い自転車をこいだ。

 あと30キロを2時間。時速15キロで走れば何とか間に合う。

 車と信号が多くなり一度止まりその走り出しが一番膝の傷みがひどい。あまり信号で止まることが無いように、前方の信号の色を確認しながらスピード調整を行う。

 徳島市内に入り、フェリー乗り場へと急ぐ。フェリー乗り場までの道を携帯電話の地図で確認しながら曲がる道を誤らないようにと慎重になる。

 フェリーに乗る前に湿布をどうしても買いたかったため、コンビニによるが何でも揃うコンビニでも湿布は置いていなかった。ドラッグストアを探しながら走ると反対車線に見えたが、信号を待つ時間を考えると、進行方向側にある、店を探したほうが早いと判断し行き過ぎる。時計を確認すると出発30分を切り、残り10キロになった。

 フェリー乗り場までの道へ国道から曲がる道が見えた。しかし湿布は買えていない。湿布は諦めペダルをこぐ。少し行くとまた分かれ道が出てきた。辺りは暗くフェリーまでの看板が無く、どちらに行けば良いか分からなくなった。


 携帯を出し調べるのも煩わしくなり、近くにいた背広を着た若い方に道を尋ねると丁寧に教えてくれた。残り2、6キロで15分を切っていた。


 今日一番のスピードでペダルをこぐ。その道に探していたドラッグストアの明かりが見え、時間は惜しかったが、明日も自転車をこがないといけないことを考えると、湿布を買っておきたかった。急いでお店に入る。

 しかし普段湿布を買うことはないため、どこに陳列されているのか象像が出来ない。店員さんを探すが、レジ打ちの人1人だけで、お客さんの対応をしていたため、自力で探すことに決める。

 こういったときは何か湿布に近い商品が目に入るとその近くかなと想像する。バンドエイドが目に入ったためその近くか、勝手に想像し舐めまわすように辺りを見るが、湿布は見当たらない。

 レジ打ちの店員さんがお客さんの接客が終わったのが見えたのでやはり店員さんに聞き、湿布を無事に購入した。

 また自転車にまたがりフェリー乗り場へ急ぐ。乗り場が見えた。一瞬懐かしい感情に浸ったがそんな余韻にひたることなく切符売り場へ直行。残5分のところで船に乗り込むことが出来た。

 自転車のままフェリーに乗れるのがとっても楽でありがたい。自転車に付けている4つのカバンのうち食べ物が入っているカバンを持ち客席へと上がって行った。

 客はまばらでゆっくりと横になれそうな場所を見つけ、荷物を置き左ひざに湿布を貼り眠りについた。時間は9時50分を回ったところだった。

2018年4月18日水曜日

高知ー京都 自転車ルート 

外国への出発は大阪からのため、出発前に地元の京都で旅の準備をする。

そのため現在住んでいる高知から京都まで自転車で帰省の予定を立てた。

高知から京都までのバスに自転車を積み込むことは断られることがあるのと、自転車のプレ走行も出来ると考え自転車での帰省を決めた。

走行距離はざっと350キロほど。

ルートは高知から海岸沿い55号線を走り、室戸岬を周り徳島市内へ向かう。
徳島から南海フェリーに乗り和歌山に渡る。

和歌山からは京都まで続く24号線を走っていくというルートを立てた。

高知ー徳島はアップダウンの少ない55号線。
最短距離だと195号線が近いのだけれど、何度かバイクや車で通ったことがあるが、真っ暗なトンネルと坂道が多いため断念。


また高知の北川村から東洋町へ抜ける道493号線がある。これは地図を見る限りかなり距離が短縮できるように見える。

しかしながらその実態は短縮というのは距離だけであって時間は短縮できないほど曲がりくねり、坂道が続き時間は伸びるだろうという道である。


東洋町に「なめし」を教えてくださる方がいたため、何度も通ったのだ。毎回地図を見ると55号線より493号線のほうが近く見える。

そして選ぶのだ493号線を。そして毎回思う。やっぱり55号線で行きゃあよかったと。

55号線は海岸沿いのとっても景色のいいルート。とくに室戸を越えてからが一番好きだ。車も少ないし海も綺麗。
493号線も川沿いを走り美しい自然の中を通る。決して悪路と言うわけではない。
バイク好きの人なら好んでこちらを走るだろうというようなルートである。

しかし目的地がありそのために走る道としては、あまり好きでなかった。

今回の京都への帰省は時間も決まっており、急いでいたため55号線を選択した。



2018年4月17日火曜日

お知らせ

長らく投稿も止まっていたのですが、元気に高知で暮らし、今年の3月まで日曜市への出店も続けていました。

一旦高知での仕事は中断し、今年の5月から自転車で外国を走りに行くことにしました。

地元の京都より土地のことを知り、自分のことを名前で呼んでくれる知り合いが沢山いる地を離れるのはやっぱり少し寂しい。

7年間過ごした高知を離れ外国に行くことへは、寂しさと新たな道へののワクワクと不安が入り混じり今までには無かった感情です。

でも今回の旅は10代のころから思い描いていた夢だったからワクワクの方がちょっぴり大きい。

大学卒業と同時に旅の資金が貯まった。それと25歳と言うまあまあ良い年齢になったことが旅への後押しとなった。

旅の期間は1年~2年ほど。
行き先はモンゴルとその近隣諸国など。