2018年5月2日水曜日

京の銭湯


京都にある銭湯に先日、父と一緒に行った。

近所の銭湯を調べると二件なら歩いていける距離にあった。二つのうち一つはその日定休日だったため、もう一つの銭湯に歩いて向かった。

近所の道は狭いのによく車が通るのでいちいち車のエンジン音がすると、後ろを振り返り確認するのが億劫だった。

裏道を何本か通りながら目的地の銭湯に到着した。

門構えは昭和感が漂いつつも西洋のレトロ感があった。暖簾が出ており営業しているのだと一目でわかるシステムは日本の文化なのだろう。

表には大塚製薬の自動販売機が置かれており、風呂上がりのマッチは最高だろうなと思いながら暖簾をくぐり、引き戸を開けた。「いらっしゃい」と、か細い声が左から聞こえた。今まで行った銭湯は右が男湯で左が女湯のところが多かった。

番台が男湯と女湯の真ん中にあり番台さんは1人で両方の管理が出来るのである。

声をかけてくれたのは、80歳は有に超え90歳になろうかというおばあちゃんが出迎えてくれた。

二人で860円であったが、私は父と一緒だったので財布は持っていなかった。父の財布には大きいお札の5000円しかなかった。父がそのお札を出すと、さっとおばあちゃんが計算し、4140円が返ってきた。

銭湯は備え付けのシャンプーや石鹸などは置かれていない。自分で家から持ってくるか、その場で購入するかだ。昔はよく銭湯に行っていた父はそのことは心得ており、私の分と自分の分のシャンプーを持ってきてくれていた。

着替え場は学校の教室一つ分くらいで、お馴染みの肩叩き機や重そうな扇風機、体重計などがあり、女湯と男湯がカーテン1枚で仕切られている場所もあった。

ロッカーは木枠で作られ、皆が触って角が取れ、艶やかな色をしたロッカーに荷物を預け、お風呂に入った。ドアを開けた瞬間、あの小学生のプールのときに匂った塩素の匂いがプンとした。

お風呂も教室一つ分くらいの広さがあり、その3分の1がお風呂で残りの3分の2が洗い場とゆったりとした作りになっていた。洗面台はシャワーが一つあり、取り外しは出来なく固定されている。


鏡が付いておりその下部には地元の酒屋や理髪店、タクシー会社などの宣伝広告が貼られている。頭からシャワーを浴び少しすると水量が一気に強くなった。


周りを見ると二人の先客が同時にシャワーを止めたのだ。その水量が一気に私のシャワーに集中したのだろう。このような何気ない質素感が最近の温泉施設にはなく、ほっこりした気分になる。


シャワーには温度調節はなく、温かくなったり、また少し冷たくなったりと一定はしなかった。体を洗い終わりお湯につかった。

お湯の種類は全部で6種類あり充実した数だ。ここは少し変わった種類の湯がありそれは人間洗濯機と呼ばれる湯であった。どのようなものかというとドラム缶の二回りくらいの大きさで丸い湯になっている。そこの湯が誰もいなくても回っているのである。


湯は6種類とも温度も異なりアトラクションが備え付けられており、自分の好きな湯を見つけることが出来た。

1時間くらい色々な湯につかっているとおじいちゃんと3歳くらいの女の子が入ってきた。女の子は走り回り、先にお湯に入っていたお客さんに笑顔を振りまきスケートリングに上がる女性を眺めているようだった。

その走り回る女の子の腕をおじいちゃんが捕まえ、体を洗ってあげていた。体を洗い終わると、女の子はお風呂用のおもちゃを持ってお風呂場に入り遊ぶ。私たちは十分に満足し風呂を出た。

体を拭いていると少し恰幅のいいおっちゃんが入ってきて、サッと服を脱いで体重計に乗り、「よしっあと3キロ」と言ってお湯に入りに行った。

私たちはお湯で温まった体を冷ましながら服をゆっくりと着替えていると、ふと目に留まった。先ほどのおっちゃんの荷物がロッカーに終われずに脱衣所のフロアに置きっぱなしであった。

おっちゃんがお湯に入って5分くらいたっていただろうか、そのことに全く気付かないほど、ゆったりとした空間である。

実際お風呂からあがり私が父にあの脱衣所の荷物見た?と聞いたが、父は何のこと、と言う風で気づいていなかったのだ。そして私は冷蔵庫の中からポカリスエットを出し、ちゃぶ台に120円を出し椅子に座り休憩していると、おじいちゃんと女の子が出てきた。

おじいちゃんが女湯の方に大きな声で「あがったよ~」と呼びかけると女湯からお母さんらしい声で女の子に向かって「こっちにおいでー」と言った。女の子は男湯と女湯が繫がれているカーテンをめくり女湯の方へ姿を消していった。銭湯は体の汗を流し疲れを癒しリラックスできる私のお気に入りの場所であり、何気ない日本の日常が垣間見れるのである。