2018年4月21日土曜日

高知ー京都 自転車旅 1日目


 朝早く起き、自転車に載せて持って帰る荷物の準備と、最後の家の引き継ぎの作業を終えた。朝ごはんは米をしっかり食べ、朝八時に出発。

四年間住ましてもらった家に別れを言い、次にこの家に住む住居者に見送られ、高知県の家を後にした。

 家から国道までは7キロほどある。その道を走っていると今までお世話になった方が、車で通り「行ってらっしゃい」という言葉と共に、食べ物などを頂いた。国道に出るちょっと手前に、家の大家さんの家がある。そこで大家さんにお別れを告げ自転車旅が始まった。

 気温は18℃と温かいというより暑いくらい。夜須から安芸までは自転車にとって良い道とは言えないが、遍路道を兼ねた自転車道がある。細いが車のことを気にせず走れるのは、気持ちいが良いのと、国道より海側を走れるので、時たま現れるオーシャンビューに感嘆する道だ。自転車の調子は最高に良い。どこまでも走れそうな気分になっていく。

 この日は木曜日だったので、私が好きな番組、NHKラジオの「すっぴん」が放送されていた。今日のパーソナリティーは1週間の中でも一番好きな麒麟の川島さんだ。イヤホンで聞くのは危険なため、コンパクトラジオをフロントバックの上に置きラジオを鳴らしてみると綺麗に音源が聞けた。海沿いを、ラジオを聴きながら走るのは爽快な気分であった。

 今回の旅の予定は一拍二日で京都まで帰る予定だったため、あまり悠著なことは言っていられない。室戸までの60キロほどはその自転車道と国道を走り難なく行けた。高知県は本当に綺麗な川が沢山あるのだと改めて感じた。

 室戸まで行き一息ついていると、頭に不調の兆しがあった。それは少し無理をしたら、よくなるのだが頭がズキンズキンする。これは熱中症の症状の一つらしいが、今回は昼頃から訪れてしまった。この症状は寝たら治るのだが、今日はそういうわけにはいかない。
 水分不足が原因だった。室戸までほぼ休憩なしで走ってしまった。初めは調子がいいと勘違いし無理をしてしまっていたのだ。そこから水分休憩を頻繁に行ったが、状況は悪化こそはしなかったが、頭のズキンズキンは治らなかった。そのまま自転車を走らす。アップダウンがほぼ無く風も追い風で体調の割に距離は稼げた。

 よく「なめし」を教わりに来ていた東洋町を抜けそのあたりで、頭のズキンズキンが消えた。そしてその代りに左ひざの外側に痛みが走った。筋肉痛でもなく張ってる感じもない。腱を伸び縮を繰り返し痛めたのだと思う。あまりよくない気がした。しかし進まなくてはいけない。左ひざでペダルを漕ぐときは力を抜き右で漕ぐときに力をめいいっぱい入れ漕いだ。

徳島が少しづつ近づいてくる。


 日本の国道は分かりやすい青看板が頻繁に立っており、国道ならほぼ迷うことなく、さらに距離の指標もあるので本当にありがたい。もう60キロくらいで徳島市内と言うところでコンビニの本コーナーで地図を確認するとショートカットの道があった。

 おしっ、これなら10キロほど短く行けると意気込んで行くと、バイパスで歩行者と自転車は通行不可であった。この時点で時間は18時を指していた。徳島―和歌山の南海フェリーの時間は21時50分。残り3時間50分で60キロ。

 普通なら難しくはないが、この日は時速10キロのペースだったため、ぎりぎりであった。バイパスが通るくらいのため、旧国道はアップダウンが多く山で覆われていた。

 後ろからロードバイクの二人組がサーと抜かしていく。自転車の後ろには赤い点滅が付いていた。暗くなってきたなと感じる。

 小さな山を登ったり下りたりと繰り返しながら、この山道を早く抜けたいと気持ちが焦る。左足は相変わらず痛む。薄暗くなり視界が少し悪くなる。

 前方からライトの明かりが2つ坂を下ってくるのが見えた。行きに抜かしていった二人組だった。おそらくこの山道を抜け向こうの町まで到着して帰ってきたのだろう。そのことを想像すると、この山道はもう7合目くらいまで来ていると想像でき少し元気が出てきた。

 その山道にはたくさんの林道があり、もしテントを張るならこの林道を少し入った車一台旋回させられるような平地で張るのだろうなと持ってもいないテントの張り場所を想像する。

 数百メートル進んでは休みを繰り返す。


ようやく青看板が出てきて10キロほど進んだことが分かった。その青看板や、峠という文字が見えてくるとだいたいその山道の終わりを指す。そこから一気に下りに差し掛かった。山道を抜けた。


 辺りは真っ暗闇に包まれる少し手前だった。ホッと胸をなでおろした。実は、実用的なライトを持っていなかったのだ。夜に自転車で走ることは危険なことを承知していたため、夜は走らないと決めていたからだ。

 しかしながら午前中の熱中症と、左足の痛みのため、夜も走らないといけなくなった。ここに詰めの甘さが出ている。何とか峠を完全に暗くなる前に通過したから良かったものの、あと1時間遅く山道に入っていたら危険度の高い走行になっていただろう。


 辺りは暗くなったものの、車や民家、お店なども徐々に姿を現し、ライトがなくともどうにか走れる。しかし一番危険なのは交差点に入ったときの対向車が右折するときだ。暗いと自転車の認識が見えづらくなる。右折してくる車との接触に気を使い自転車をこいだ。

 あと30キロを2時間。時速15キロで走れば何とか間に合う。

 車と信号が多くなり一度止まりその走り出しが一番膝の傷みがひどい。あまり信号で止まることが無いように、前方の信号の色を確認しながらスピード調整を行う。

 徳島市内に入り、フェリー乗り場へと急ぐ。フェリー乗り場までの道を携帯電話の地図で確認しながら曲がる道を誤らないようにと慎重になる。

 フェリーに乗る前に湿布をどうしても買いたかったため、コンビニによるが何でも揃うコンビニでも湿布は置いていなかった。ドラッグストアを探しながら走ると反対車線に見えたが、信号を待つ時間を考えると、進行方向側にある、店を探したほうが早いと判断し行き過ぎる。時計を確認すると出発30分を切り、残り10キロになった。

 フェリー乗り場までの道へ国道から曲がる道が見えた。しかし湿布は買えていない。湿布は諦めペダルをこぐ。少し行くとまた分かれ道が出てきた。辺りは暗くフェリーまでの看板が無く、どちらに行けば良いか分からなくなった。


 携帯を出し調べるのも煩わしくなり、近くにいた背広を着た若い方に道を尋ねると丁寧に教えてくれた。残り2、6キロで15分を切っていた。


 今日一番のスピードでペダルをこぐ。その道に探していたドラッグストアの明かりが見え、時間は惜しかったが、明日も自転車をこがないといけないことを考えると、湿布を買っておきたかった。急いでお店に入る。

 しかし普段湿布を買うことはないため、どこに陳列されているのか象像が出来ない。店員さんを探すが、レジ打ちの人1人だけで、お客さんの対応をしていたため、自力で探すことに決める。

 こういったときは何か湿布に近い商品が目に入るとその近くかなと想像する。バンドエイドが目に入ったためその近くか、勝手に想像し舐めまわすように辺りを見るが、湿布は見当たらない。

 レジ打ちの店員さんがお客さんの接客が終わったのが見えたのでやはり店員さんに聞き、湿布を無事に購入した。

 また自転車にまたがりフェリー乗り場へ急ぐ。乗り場が見えた。一瞬懐かしい感情に浸ったがそんな余韻にひたることなく切符売り場へ直行。残5分のところで船に乗り込むことが出来た。

 自転車のままフェリーに乗れるのがとっても楽でありがたい。自転車に付けている4つのカバンのうち食べ物が入っているカバンを持ち客席へと上がって行った。

 客はまばらでゆっくりと横になれそうな場所を見つけ、荷物を置き左ひざに湿布を貼り眠りについた。時間は9時50分を回ったところだった。